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バッハ  ゴールドベルク変奏曲

深いところから迸しり出るようなノリ

  • グレン・グールド(ピアノ)
  • 1955年 セッション録音(モノラル)

楽譜指定の反復を省略して、演奏時間は40分弱。

ゴールドベルク変奏曲は、響きが薄弱で、抑揚の乏しいチェンバロを前提とした楽曲。バッハは、そんなチェンバロから華やかで充実した響きを引き出すために、技を尽くしている、と思う(現代人の耳に、華やかで充実した響きと映るかは別だけど)。
そんなこの曲を、豊かな響きと表現力を持つ現代のピアノ(といっても、この録音から数十年が経過しているけれど)で演奏すると、音や響きの密度はどうしても過剰になってしまう、たぶん。そのあたりをどう聴かせるかが、現代のピアノによるゴールドベルク変奏曲を聴くときの、わたしの視点の1つ。

この録音で聴くことのできるピアノの音は、他の現代ピアノによるゴールドベルク変奏曲のそれとはかなり違って聴こえる。強く打鍵しても、明確で、軽快で、音の粒がハッキリとしている。音の量感を極端に抑える方向で、特別に調整されている印象。

それでも、楽器としてチェンパロより遥かに雄弁なまま。そういう調整をすることで、ピアノをチェンバロに近づけているようには聴こえない。
むしろ、ピアノ曲として捉えたときのゴールドベルク変奏曲の過剰さを逆手にとって、粒立ちの冴えた楽器を縦横に駆って、スリリングかつめくるめくような演奏を繰り広げている。

第25変奏を除いて畳み掛けるようなテンポと力強さで弾いている。活発な変奏では俊敏で鋭い打鍵がスリリング。テクニックが切れているだけでなく、急速な中で音のコントラストがくっきりと表現されていて、痛快に小気味よい。
悪くとればノリで演奏しちゃっている感がある。好き放題にデフォルメしていて、楽曲の構成美とか巧緻な書法を味わうには向かない感じ。でも、深いところから迸しり出るようなノリではある。

楽曲のダイナミズムをとことん引き出す

  • アンドレアス・シュタイアー(チェンバロ)
  • 2009年のセッション録音

リズムは弾むようにでも舞うようにでもなく、しっかりと刻み込まれていく。深く、浅く。確かな手応えがある。締まって固いフレーズのラインが緩みなく組み上げられていく感じ。

静的な変奏では、引き締まった足取りで、目鼻立ちのくっきりとした表情を作る。メロディアスなところでも、気分に浸ることなく決然と彫琢していく。
そして、動的で力強い変奏ではバリバリと弾き込んで圧倒的。とりわけ第29変奏は、チェンバロの限界に挑むくらいに荒々しくて、迫力満点。
しっかりとした手応えのある、硬派なゴールドベルク変奏曲と思う。

緩急の変化など、変奏ごとのメリハリはそうとうに大きい。華やかさとは違うけれど、音色のバラエティも豊か。楽曲のダイナミズムをとことん引き出そうとしているかのよう。

変奏毎のコントラストを著しく際立たせると、そのぶん全曲としての均衡美とか、格調みたいなものが後退しかねない。
そういうギリギリのところまで攻めたアプローチと感じる。

ゴールドベルク変奏曲には、過剰さがあると思う。その過剰さを、爛熟的な洗練というより、表現意欲の奔出として聴かせてくれる。
聴き手を選ぶアクの強さだけど、80分を超える長丁場、変化に富んでいて飽きさせない。シュタイアーの表現力の大きさは印象的。

陰影豊かに織り上げる、匠の技

  • グスタフ・レオンハルト(チェンバロ)
  • 1976年のセッション録音

マイクが楽器の近くに設置されているようなサウンド。ホール内に響く雰囲気は乏しいけれど、レオンハルトの表現がリアルに訴えかけてくる感じ。

楽譜に指定されている反復を省略して、演奏時間は47分。
反復を励行する演奏が増える今となっては、レオンハルトの姿勢は中途半端にも感じられるかもしれない。
しかし、素直な気持ちで聴く限り、音楽鑑賞として物足りなさが残る演奏ではない、と思う。

レオンハルトは、右手と左手のタイミングを微妙にずらして、一つ一つの音に与えられた意味とかニュアンスを聴かせる。
このくらい右手と左手のタイミングをずらすと、リズムの活気、ノリの良さ、華やかさは控えめに聴こえる。
しかし、音楽の流れをギクシャクさせることはない。むしろ、音を緊密に撚り上げて、色合い豊かなメロディ・ラインを聴かせる。
さらに、テンポやリズムを積極的に動かしたり、念を押すようにアクセントの強調したり、粘りのある節回しなんかを駆使して、各変奏の性格はくっきりと描き分けていく。語り口、というものを感じさせる。

現代人の耳からすると、チェンバロは表現力豊かな楽器とは言い難いのだけど(私見)、レオンハルトは、この楽器の渋い持ち味をそのままに、多彩な表情と引き出している、と思う。
この磨き上げられた独自の演奏様式が聴きものだと思う。

自らの音楽であるかのように、活き活きと、ためらいなく

  • スコット・ロス(チェンバロ)
  • 1985年 ライブ録音

反復の指示を遵守しているけれど、速めのテンポで70分弱の演奏時間。弾むようなリズム、使用楽器のシャープできらびやかな響き、きびきびとした足取りと抜群の切れ味。
畳み掛けるようなテンポで一貫しているけれど、明晰で切れのある表現によって、音のひとつひとつが活き活きと鳴らされて、表現の彫りは十分。バッハが施した意匠とか、変奏毎の空気感の変化(ときに力強く、ときに格調高く、ときに静けさを、ときに・・・)なんかが手際よく表現されている。

勢いにのっているようでも、ロスは響きを完全にコントロールしていて、音楽の見通しは常にクリアだし、トゲトゲしい刺激音や和声の濁りなどは聴こえてこない。演奏技巧は高い。

単位時間当たりの密度が高くて、その集中と完成度は終始緩まない。聴き進むにつれて音楽がこちらに迫ってくるような心持ちになる。

よくコントロールされているにもかかわらず、活き活きとしてためらいを感じさせない演奏ぶりのせいか、演奏として作り込まれたような感触がしない。タッチの個性は感じるけれど、癖みたいなものは感じられない。いたって平明な作品像が提示されている。
まるでロス自身の音楽を演奏しているかのような閾に達している、と思う。

数ある同曲の録音群に順位をつけることはできないけれど、個人的には大変好ましい音源。


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