音楽鑑賞の備忘録。
各パートの線の動きをスッキリと際立たせて、ときにシャープな、ときに繊細なアンサンブルが繰り広げられる。細やかに、音のひとつひとつに託された効果みたいなものが浮き彫りにされていく。
そして、アンサンブルの全体を低弦が柔らかく支え、包み込むことで、程よい広がりと量感を(そして、サウンド面ではくすみを)もたらしている。
力感とかボリューム感を欠くわけではないけれど、動と静なら静の場面、陰と陽なら陰の場面の方が、より心に響く感じがある。
ダイナミックで変化に富む両端楽章では陰影を意識させられる。
第二楽章では、悲嘆にくれるような、慟哭するような生々しさを孕みつつも、荘重さと格調が支配的。鎮魂曲のように聴かせる。ベートーヴェンの構想にそぐうのかはともかくとして、とても印象的。もし葬式でこの音楽を使うなら、ケーゲルの演奏はおすすめかも。
ケーゲルの解釈を考えると、より高機能で響きの鮮度が高いオーケストラで聴いてみたかったかも。ただし、ドレスデン・フィルのひなびた質感のサウンドは、それなりに心地よくはある。
厚みや豊かさと、きびきびとした運動性を兼ね備えたような様相が一貫している。
細部は磨かれているようだけど、総体としての鳴りの良さとか、活き活きとしてスムーズな進行がより前面に出されている感じ。快適に進行される。
練られた爽やかさ、みたいなものを基調としつつ、そこに風格がさりげなく漂う、みたいな。
シャイーの若々しい持ち味と、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の落ち着いた風合いが重なって、独特のテイスト。
場面場面の表情を彫り深く描き出すというより、それらを骨太な流れの中に巻き込むようにして、全曲を駆け抜けていく。
第二楽章での息の長いフレーズが連動する感覚とか、第四楽章での対位法的な線の交錯の妙というような、楽章ごと様相の変化を印象づけるやり方ではなさそう。
そういうことより、若々しさと風格を併せ持った、このコンビの壮快な演奏様式を楽しみたい。
各パートを肉厚かつ伸びやかに響かせ、それらを丁寧にブレンドして、総体として厚くて広がりのある響きを生み出している。量感はあるけれど、サウンドイメージは明解で濁らず、威圧感や重苦しさを感じさせない。音のだぶつきが機動性を鈍らせることもない。
全般的には、対位法の立体感より、サウンドのブレンド感とか量感の変化で聴かせようとしていてるみたい。
第一楽章あたりは展開に即してテンポや調子が頻繁に切り替えられる。抑揚を演出するために、造形を崩すことを厭わない(もっとも、崩す程度はほどほど)。
第四楽章は、対位法の線的な連動の妙より、重層的な音響で盛り上げて行く。
音楽を揺さぶっているけれど、聴き手を煽る風ではない。アンサンブルの美観と秩序の優先度がすこぶる高い。豪快とか、没入とか、燃焼みたいな形容はそぐわなさそう。統制され、磨かれた音楽と感じられる。
また、起伏の大きさとか、彫りの深さより、スムーズな流れを重視しているように聴こえる。ドラマティックな火照りみたいな感覚はない。
前世紀までの独墺系の先達たちが磨き上げてきた、ロマンティックで大ぶりなベートーヴェン像を継承している感じ。盲目的な継承ではなく、洗練された感覚とサウンドでリニューアルされているけれど。
1950〜60年代頃の演奏に馴染んでいる耳には、新鮮味は乏しく、啓発される(作品についての気づきとか)部分は乏しいかもしれない。しかし、馴染みやすいとも言える。
伝統芸能の世界でもあるのだから、継承されることの意義は高いと思う。