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ベートーヴェン  交響曲第5番『運命』

荘厳でダイナミック。大胆だけど、自然な流れを感じさせる語り口

  • ウィルヘルム・フルトヴェングラー (指揮)
  • ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
  • 1943年 ライブ録音

古いモノラル録音。これだけを聴いてフルトヴェングラーの『運命』を語るのは無謀というレベルの音。とは言え、ホールに鳴り響く雰囲気はあって、音楽を楽しむことはできる。

貧弱な録音ながら、音量をある程度まで上げると、大地に根を下ろしたような峻厳な質の響きをうかがわせる。そして、展開に即したテンポの変化はあるものの、造形は毅然と引き締まっている。ダイナミックで激しい表現ではあるけれど、常に荘厳さを湛えている感じ。

久しぶりにこの演奏を聴くと、その語り口と威厳に感化されてしまいそうになる。
楽曲を単純化し、大きな音を出すパート(外声部)を主導させて、ダイナミックでキビキビとわかりやすい表現を繰り出してくる。これだけ大胆にやりながら、誇張めいた印象を与えることなく(たぶん)、自然な流れを感じさせる語り口に、聴くたびに唸らされてしまう。そんなに奥深い芸という気はしないのだけど、その演奏が始まると、誰よりも上手と感じられる。実は奥深い芸なのかもしれない。
録音のせいで、ホールを鳴動させていたであろう音響の威力がかなり割り引かれるのは仕方がない。

思いきりよく単純化された表現は、繰り返し聴くうちに、物足りなくもなってくる。他の優れた演奏で聴くことのできる精緻なオーケストレーションみたいな面を実感することは難しい。
もっとも、この音質では、そのような印象の原因のどのくらいが録音に因っているのか、どのくらいが演奏に因るものなのか、判然としない。

昔フルトヴェングラーという偉い指揮者がいて、戦時下になにやら凄い演奏をしていたらしい記録として、「けっこう楽しめるじゃないか!」と素直に楽しむのが吉。

行くところまで行ってしまった

  • ウィルヘルム・フルトヴェングラー (指揮)
  • ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
  • 1947年 ライブ録音

古いモノラル録音。第二次世界大戦後のフルトヴェングラー復帰演奏会(5月25日)の実録。
わたしが聴いたのはaudite盤。引き締まった硬質な感触の音質だけど、そのぶん情報量はある。

第一楽章からすさまじい力感と緊張感を孕んでいるけれど、マッチョ指向が強い(そればっかりでもないけれど)。盛り上がる場面になると、やたらと暴発したがる癖が見受けられる。不自然とまでは言わないけれど、常に必然性を感じるわけでもない(特に第二楽章)。いずれにしても、作品の一側面を極大化させている印象で、作品相応の広がりとか深まりは感じ取りにくい、と思う。

終楽章にさしかかるとそうした傾向は常軌を逸したレベルに達する。音楽的な教養とか技術を持ち合わせ、それ相応の鍛錬を積んだプロたちが、望んで集団発狂しているような。演奏芸術におけるカリスマの究極を聴くような壮絶さ。
すごいことはすごいけれど、完全にある一線を踏み越えている。音量の大きなパート(外声部)を猛然と駆り立てる超剛腕ドライブによって、ベートーヴェンが楽譜に記した音符の少なからぬ量が擦りつぶされている。作品を堪能するというより、スリル満点の曲芸に酔う感覚。
もっとも、曲芸じみていたとしても、『運命』交響曲という音のドラマから逸脱する印象はない。極端な誇張はしても、異物さを持ち込むことはしない、みたいな感じだろうか。

音盤めぐりをする上で「行くところまで行ったらどうなるのか」という興味は常にある。この音源は、非凡な名曲の一つの可能性について、行くところまで行ってしまった感がある(少々行き過ぎている)。底なしのバイタリティを感じさせるこの交響曲を、炭の一切れも残らないくらいに燃やし尽くした感じ。たぶん、これより先には誰も行けないだろう、という気がする。
まあ、連れて行かれて幸せと感じるかは人それぞれだろうけど。


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