×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

ブラームス  ピアノ協奏曲第1番

ジェントルなピアノと気迫の管弦楽が、がっぷり四つ

  • クリフォード・カーゾン (ピアノ)
  • ジョージ・セル (指揮)
  • ロンドン交響楽団
  • 1962年 セツション録音

良好なステレオ録音。空間の広がりに関しては、新しい録音に聴き劣りするかもだけど、演奏が眼前に広がるように生々しい。

始まった途端、セルとロンドン交響楽団の気迫に圧倒される。響きの量感とかいかつい響きによって生み出される迫力とは違う。音のキレ、アクセントの付け方、緊張感のあるフレーズのつながりなどなどが生み出す気迫。そういう意味では、聴き手に緊張を強いるような面はあるけれど、この曲には合っているかも。

セルの伴奏は、クリーヴランド管弦楽団との録音で聴かれるほどに室内楽的ではない。基本的には引き締まった管弦楽だけど、ほどほどに恰幅がある。しかし、克明で締まりのあるアンサンブルはこの指揮者らしいし、オーケストラは高性能。色彩感とか潤いは乏しいけれど(録音のせいかも)、そういうのを含めて、苦み走ったテイストになっている。

一方のカーゾンも質実な演奏ぶりだけど、個々のパートを生々しく浮き上がらせるセルとはちがって、音の粒のひとつひとつを浮き彫りにするより、音の連なりとか響きのニュアンスで表情を形作っていく。この曲にしばしばある力強い場面でも、パワフルな打鍵で音量を稼ぐやり方ではなく、緊迫した指の動きとか刺激的な響かせ方とかで盛り上がりを表現する。
ジェントルな振る舞いの中で、表情を作り込んでいく感じ。

ただ、セルの管弦楽の方は気性が激しいので、力強い場面ともなると、音量としても雄弁さの面でもピアノが劣勢に聴こえてしまう。こういう組み合わせだと、ピアノを引き立てる配慮が管弦楽の側に欲しいかも。この演奏では、がっぷり四つに組んでしまっている。良くも悪くも。

(2014-05-05)

三位一体のアンサンブルがもたらす、実質の手応え

  • ルドルフ・ゼルキン (ピアノ)
  • ジョージ・セル (指揮)
  • クリーヴランド管弦楽団
  • 1968年 セツション録音

明瞭な音質で、二人の巨匠のやっていることがよく伝わってくる。ただし、いかにも合成されたような響き方で、空間の広がりは感じにくい。

ゼルキンのピアノは、響きとしても、造形としても引き締まっている。巨匠の風格とか、芸の幅広さで聴かせるというより、ひたむきに、一途に楽曲に踏み込んでいくような弾きっぷり。

録音当時60代半ばいうことで、打鍵のキレとかパワーはもうひとつだけど、音の粒立ちは良好。
ただし、粒子を美しく磨くより、揺れ動く情動を研ぎ澄ませたようなタッチ。
外貌はストイックなまでに引き締まっているけれど、フレーズの線を浮き上がらせて、しっかりと抑揚を施していくので、訴えかける力は強い。

楽曲や聴き手との相性が気になりそうな、個性のはっきりしたアプローチだけど、この協奏曲との相性は良いと思う。息苦しいくらいの一途さが、若きブラームスの覇気とか気負いみたいな要素と、いい感じに同調している。
そのうえで、ゼルキンは、この曲の目の細かい書法の機微を明解にメリハリ良く描き出している、と思う。若書きの作品なりの、この協奏曲の非凡な密度を実感させてくれる。

セルとクリーヴランド管弦楽団による伴奏は、それ自体見事なものだけど、ゼルキンのピアノとの相乗効果が目覚ましい。
ピアノを包み込むような伴奏ではない。この濃密なオーケストレーションを、ピアノを核とした大柄な室内楽アンサンブルのように捌いている。オーケストラはただセルの棒に付き従っているという感じではない。セルが生み出す秩序の下で、個々のパートがゼルキンのピアノと呼吸を合わせて、目の詰んだアンサンブルを聴かせる。

サウンドの質は、ブラームスの伝統的なイメージから外れるかもだが、実質の手応えは大きい。

(2014-9-20)

ロマンティックな情感を豊かに溢れ出させる

  • エレーヌ・グリモー (ピアノ)
  • アンドリス・ネルソンス (指揮)
  • バイエルン放送交響楽団
  • 2012年 ライブ録音

第一楽章冒頭、管弦楽はなよっとした物腰。それでいて、響きの量感はあるから、迫力はそこそこあるけれど、気迫とかキレみたいなものを感じにくい。
ネルソンスという指揮者を聴くのは初めて。冒頭では残念な印象を持ちかけたのだけど、ピアノが入ってからは印象が変わった。もしかしたら、ピアニストの芸風に合わせて、こんな風にやっているのかもしれない。

ブラームスの協奏曲は、他の作曲家に比べて、管弦楽の比重が高い傾向だけど、この演奏はグリモーのピアノが前面に出ている。管弦楽は、積極的に引き立て役に回っている感じ。控えめに調子を合わせるということではなくて、この協奏曲へのアプローチとしては個性的と思われるグリモーのアプローチを受け入れて、それに同調し、支え、包み込んでいく。
だから、この演奏から独奏と管弦楽の拮抗を聴こうとすると、管弦楽に物足りなさを感じるかもだけど、グリモーのピアノと作品観を主眼に聴くなら、ほどよいエスコートぶり、と感じられる。

グリモーは、余裕のある足取りで、ニュアンスたっぷりの節回し。ともすれば濃密な書法に埋もれがちな、さりげないニュアンスを洗いざらい響かせていく。
録音のせいもあるかもだけど、ピアノ響きは明るくて量感がある。豊麗なピアノ。陰影みたいなものは乏しいかもしれない。
盛り上がるところでは、節度ある管弦楽のおかげもあって、力強い打鍵を明瞭に聴き取ることができる。

ロマンティックな情感をためらいなく、豊かに溢れ出させるような演奏で、この楽曲の描き方としてはユニークと言えそう。この演奏を聴いた後で、「作曲したブラームスはシャイな人柄だった」と言われたら、すくには信じられないかも。

(2014-05-10)

透徹したタッチに、彫り深く、堂々としたピアノ

  • クリスティアン・ツィマーマン (ピアノ)
  • レナード・バーンスタイン (指揮)
  • ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
  • 1983年 ライブ録音

ツィマーマンのピアノは、透徹したタッチに、彫りの深い表現、そして堂々とした佇まい。急がず、焦らず、彫りの深い音楽を彫琢している。楽曲が一回り立派に聴こえる。解釈としても、技巧的にも、完成度が高い。

ただし、透けるような硬質な響きで一貫しているので、色彩感みたいなものは乏しい。また、語り口を楽しむような質の音楽でもない。楽曲の造形美をとことん研ぎ澄ませた結果、なるべくしてなっている感じ。

録音当時のツィマーマンは20代後半。ブラームス20代半ばの作品ということで、青年ブラームスの覇気とか瑞々しさ、みたいなものを期待したけれど、そのあたりは期待はずれのような。

バーンスタインは、個々の声部の独立性を高めて、それぞれを濃く歌わせるやり方。それ自体はバーンスタインの流儀なので、良いも悪いもないけれど、この音源については、アンサンブルの一体感とか、ハモリによる響きの妙味などに不満を覚えた。逆に、バーンスタイン流ならではの良さ、みたいなものは格別感じられなかった。

(2014-04-26)

磨かれた響きとダイナミックな表現。カッコよくて聴きやすい

  • クリスティアン・ツィマーマン (ピアノ)
  • サイモン・ラトル (指揮)
  • ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
  • 2003年 セッション録音

別掲のバーンスタインとの協演盤から約20年ぶりの再録音。

タッチを徹底的に磨き上げる姿勢、彫りの深い表現などは、旧盤でのスタンスと大きくは変わっていない。タッチの厳密なコントロールと、彫りの深い造形美が、根底にある。
しかし、響きの質は旧盤とは異なる。旧盤はとにかくクリアな響きだった。当盤では、より深く、陰影のある響きを指向している。この方が、楽曲の持ち味に合っているように感じられる。

さらに、旧盤では感じられなかった、自然な推進力が気持ちいい。
旧盤には、堂々と雄渾に表現しよう、みたいな意志を感じた(指揮者の意向かもしれないが)。それに対して、当盤では、楽曲の展開に一層素直に反応している感じがある。
演奏時間を比べると、旧盤54分3秒に対し、当盤は50分58秒。

ツィマーマンの弾き方は、ピアノを通して歌い、語るというより、ピアノという楽器の生理に則って、その表現力を突き詰めている感じ。その意味で、語り口の妙みたいものは控えめ。

ラトルとベルリン・フィルによる管弦楽は、これまた聴き応えがある。力感漲る厚い響き、仄暗いトーンに、ダイナミックな表現。そして、聴かせ所をはずさない、確かな腕。オーケストラはすさまじく雄弁。
ただし、いまひとつシリアスな印象を受けないのは、スムーズで洗練されたフレーズの処理とか、カラフルな色彩感のせいだろう。
そういう意味で、ブラームスの音楽とは異質な香りがしないではないけれど、滅法渋い楽曲の、渋味をほどぼとに和らげているとも言える。

ピアノとオーケストラのテイストの違いはあるものの、磨かれた響き、ダイナミックな表現とかの方向性は合っているし、やっていることのレベルはすこぶる高い。
そして、そのことがこの協奏曲にとって有意義であるかはともかくとして、格別に聴き通しやすい。

(2014-04-30)

ロマンティックな味わいをクールに提示する

  • スティーヴン・ハフ (ピアノ)
  • マーク・ウィッグルスワース (指揮)
  • ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団
  • 2013年 セツション録音

ハフのこの曲のセッション録音は2回目。1回目は1991年に、アンドリュー・デイヴィス指揮BBC交響楽団と録音。

ハフのピアノは、ドギツイ味付けではないにしても、楽曲を自分の色に染め上げて、かつそのことを主張している、と思う。

響きはクリアで量感たっぷり。フレージングに粘りは感じないけれど、遅めのテンポを基調にして、テンポを変化させたり、間合いを置いたりしながら、曲調の推移をじっくりと描出する。

楽曲に込められたニュアンスを、じっくりと浮き上がらせるようなアプローチだけど、タッチは澄んでいるので、粘りとか重苦しさはない。
ロマン的と言えるくらいに、曲調に大きな身振りで反応しながら、燃焼とか陶酔を感じさせることは微塵もない。サラリとした質感は一貫して保たれている。
作品のロマンティックな味わいをクールに提示する、とでもいうような独特のハフ・ワールド。
聴き手を選びそうだけど、練度はきわめて高いと思う。

管弦楽は、やや編成が小さいのか、音量的にピアノに被さることなく、それでいて程よく雄弁。この指揮者を聴くのは初めてだけど、ハフの伴奏として聴く限り、過不足のない仕事をしていると思う。ソリストを立てながら、オーケストラが前に出る場面では必要十分な押し出し。

(2014-9-6 投稿)

端正にクリアに、作品書法の密度で聴かせる

  • レオン・フライシャー (ピアノ)
  • ジョージ・セル (指揮)
  • クリーヴランド管弦楽団
  • 1958年 セツション録音

良好なステレオ録音。やや硬質だけど許容範囲。情報量は多い。

フライシャーのピアノは、折り目がきっちりしていてクリア。
音を艶やかに磨き上げたり、ゴージャスに響かせたり、しなや揺らぎを作ったり、みたいな色気はない。ピアノという楽器の魅力を引き出そうとするより、楽譜に記された音たちを端整に、明解に響かせていることに徹している感じ。直線的で切れのあるアプローチ。

パフォーマンスとしてはちょっと弱いかも。生真面目風で、聴き手を引き込むような魅力は乏しいかもしれない。
技巧は、鉄壁というほどではないけれど、かなり優れている(と思う)。ただ、それによって聴き手を圧倒することより、もっぱら明晰な表現に傾注している感じ。

でも、そうしたフライシャーの持ち味が、この協奏曲では好ましく感じられる。この曲の青臭いところ、真面目くさったところをいい意味で醸している。それでいて、彼のクリアで小気味よいピアノが、楽曲の晦渋さを相当程度中和していて、聴きやすくなっている。

部分部分で聴くと、もっと重厚な味付けの方がそれらしく感じられるけれど、この協奏曲を重厚一辺倒でやられてしまうともたれるし、何かが塗りつぶされて聴こえなくなってしまうような気がする。
響きをスッキリとさせた上で作品書法の密度で聴かせる、というやり方は、個人的にはしっくりくる。そして、フライシャーの造形は、いたって明解かつ的確。

この協奏曲でのセルの伴奏は、厚い響きでピアノを包み込むというより、管弦楽の各パートがピアノと親密な合奏を繰り広げる感じ。華奢ではないけれど、室内楽オーケストラのようにスッキリとしたアンサンブルで、ピッタリとピアノに寄り添っている。
響きはスリムだし、色彩感は乏しい(録音のせいもあるか?)。厚くて渋い響きを期待すると、まったく裏切られる。

ピアノ、管弦楽とも、正確さ、明解さを強く指向していて、ときにメカニカルに響くところは(録音の影響があるかも)、好みが分かれるかもしれない。
でも、この協奏曲の、独奏と管弦楽が室内楽的なバランスで親密に連動する仕組みを、明瞭に聴かせてくれる。個人的には、重苦しくて厳めしいオーケストラに、厚く鳴り響くピアノの組み合わせより、よっぽど説得力を覚えてしまう。

(2014-05-06更新, 2014-04-17投稿)

作品書法の精彩に光を当てる、センスの良い演奏

  • ネルソン・フレイレ (ピアノ)
  • リッカルド・シャイー (指揮)
  • ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
  • 2005年 ライブ録音

シャイーの伴奏は、オーケストラの渋くて重層的なサウンドを活かしながら、楽曲の書法を色彩的に聴かせる。基調は端整で軽やかだけど、巧みなコントロールで場面にふさわしい表情を演出していて、楽曲のポテンシャルをしっかりと聴かせてくれる。ベースにある表現力とか統率力の高さを実感させられる。
これが交響曲の演奏なら、作品の捉え方で聴き手と乖離してしまうかもだが、協奏曲の伴奏なので、シャイーのブラームス観が剥き出しになるほどではなく、個人的には彼の良い面を気持ちよく楽しめた。

フレイレは、録音時点で60歳を過ぎた頃。造形的には引き締まっていて、指の動きはスムーズで鋭敏だけど、全般に落ち着いている。響きの透明度は高く、サラリとした味わい。量感はほどほどで、軽くはないが、圧力も感じられない。
強く主張しないで、オーケストラとの融和を聴かせる。

シャイーの管弦楽は、ピアノを圧倒するような伴奏ではないけれど、雄弁さでもって主導権を握っている感じ。
この曲の演奏としては明朗なテイストながら、楽曲の渋味を損なうほどではなく、作品書法の精彩に光を当てている。好悪は別にして、センスの良さが光っている、と感じる。

(2014-9-3投稿)


HOME | TOP