シベリウス  交響曲第7番

仄暗くて底力のある音楽がシリアスに迫ってくる

  • へルベルト・フォン・カラヤン (指揮)
  • ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
  • 1967年 セッション録音

録音会場であるイエス・キリスト教会の響きを存分に取り入れた録音。空間の広がり方なんかに、録音年代なりの古さを感じるけれど、この独特の音響は他に変え難いものがある。

カラヤンの演奏と知ってこの演奏を聴くと、いかにもな感じはある。この時期のカラヤンとベルリン・フィルの音源に通底する特性を、この音源も有している。

でも、演奏者を知らずにこの音源を聴いたら、どうだろう。洗練されたフレーズの処理とか、オーケストラのうまさよりも先に、仄暗くて底力のある音楽がシリアスに迫ってくる。

北欧の自然というより、暗く荒涼とした北欧神話とか、厳しい冬の北海をイメージさせられる。ヨーロッパの北方には違いないけれど、ちょっと方向が違うような(そもそも北欧に行ったことないので、すべて妄想だけど)。が、音楽そのものはたいそう生々しい。

華やかな楽曲ではないけれど、シベリウスの書法そのものは洗練されていて、かつしなやかで色彩豊か。カラヤンの流麗さとか音響美がしっくりと馴染んでいる。
一方、厚くうねるサウンドが、本場物の演奏との違いを生み出す要因の一つになっているけれど、録音会場の音響特性があいまって、生々しい劇性をもたらしている。

造形としての崩れとか、響きの濁りを感じさせないギリギリ(?)のあたりまで、ドラマティックに抑揚させている。作品書法を端整に浮き上がらせるというよりは、渾然とうねらせていく。中間部と終結部の盛り上がりでは、圧巻の効果を生み出している。楽曲の偉大さを顕しながら、同時にカッコいい!

端整さ緊密さを基調に、大きな表現力

  • コリン・デイヴィス (指揮)
  • ロンドン交響楽団
  • 1994年 セッション録音

雰囲気作りとか、ノリとかもあるけれど、大前提となっているのが、音の動きのすべてを、整然と羅列すること。そんな感じのアプローチ。緻密と言うなら他にもあるけれど、音の点と線を丹念に緊密に浮かび上がらせるところは独特の質感。

基本スタンスは極めて硬派だけど、それに終始することはない。
フレージングの柔軟性とかリズムの歯切れは良好で、微細なニュアンスまで明解に汲み取られている。
その一方で、音楽が高潮する場面で、精度と目の細かさを維持したまま、オーケストラが雄大に聳え立つ。
基本スタンスを揺るがすような妥協や不徹底をしないで、幅の大きな表現力を獲得している。
立派で磨かれた演奏様式と思う。

これだけ端整さ、緊密さへのこだわりが強いと、融通無碍の歌いまわしとか、息の長いフレージングで聴き手を陶然とさせる、みたいな語り口を楽しむことには向いていないかも。
また、繊細感、清涼感溢れる響きはあるものの、硬派で骨っぽいやり方なので、ある種の雰囲気に浸る目的にはそぐわないかも。
作り込まれ、磨かれたデイヴィスの芸をずしりと受けとめたい演奏、と思う。

シベリウスの音楽の様式観

  • パーヴォ・ベルグルンド (指揮)
  • ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団
  • 1994年 セッション録音

ベルグルンドの、シベリウスの音楽あるいはこの交響曲に関する様式観を打ち出すことに重きが置かれているような。
繊細な表情とか、粘度が低い歌い回しとか、軽やかなリズム感とか、柔らかくブレンドされた響きとかが全曲通して徹底されている。
そして、この演奏のタッチと楽曲との相性は良いと思う。中間のリズミカルな箇所でのしなやかな舞いなんかは、とても魅力的。

ある種の様式的な美しさが追求されていることの結果として、音楽が醸し出す佇まいも一貫している。
裏を返すと、場面場面の表情のコントラストは控えめ。響きの色彩感もあまり変化しない。淡彩。
オーケストラの落ち着いたキャラとか、よく響くホールの特性が影響しているかもしれない。

ベルグルンドは作曲者と同郷だけど、本来ローカル色に頼る必要のない実力派だと思う。
そんな彼が、地元の、そして作曲者と縁の深いオーケストラのローカルな持ち味を活かしながら、オーソドックスなシベリウス観、作品観を具現したような演奏、と言えそう。


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