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チャイコフスキー  交響曲第6番『悲愴』

明晰に響かせながら、内に渦巻くものを聴かせる

  • パウル・クレツキ (指揮)
  • フィルハーモニア管弦楽団
  • 1960年 セッション録音

1960年のセッション録音。EMIによる録音をmedici MASTERSが正規ライセンス復刻。
この盤の音質は驚異的に良い。最新技術で修復された旧い名画を観るような。不自然なくらいにいい音なので、いろいろと手が入っているのだろうけれど、聴いていて不自然さを覚えることはない。

オーケストラを明晰に鳴らすクレツキの手腕は素晴らしい。透明に磨き上げるとかの高踏的な美意識より、あるがままを平明かつ明解に聴かせる風なのだけど、この聴き古した交響曲の多彩な響きにハッとさせられるくらいに鮮やか。
第一楽章の中間部や第三楽章などの激しい場面では、サウンドの物理的な力で攻めるより、多様な音のひとつひとつを力強く、切れ味よく駆動して、壮快に掻き鳴らす。冴えたオーケストラ・ドライブ。

構成・書法を明解に響かせながら、情熱的に演奏している。そこのところのバランス感覚は絶妙で、濃厚風味ではないけれど、内に渦巻くものの力は大きい。
ことに第四楽章中間部の弦の歌わせ方にはしびれた。切れ味のあるキリリとしたフレージングながら、艶のある深い音と振れ幅の大きな歌いっぷりで、彫りの深い表情と、息を飲むくらいの激しい迸りを聴かせる。

濃厚かつ熟成された指揮者の美意識が強烈

  • セルジウ・チェリビダッケ (指揮)
  • ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
  • 1992年 ライブ録音

ホール内の空気を目一杯揺るがすような、量感たっぷりの物量型『悲愴』交響曲。
現実にどっぷりとした音響の中に身を置いてみないと、その真価を実感することは難しいのだろう。録音の音質は十分に優れているけれど、2チャンネルの再生環境で鑑賞するときは、想像で補う必要がありそう。

巨大な音響を深い呼吸でうねらせながら、ダブつかせることも濁らせることもなく、それどころか一貫して鮮度の高い表情を保っている。指揮者の美意識が、濃厚かつ熟成されて表れていて、かつ安っぽい作為の跡は見当たらないので、作品観を揺るがされる域。それだけに、ある程度聴き手を選ぶことにはなるだろう。

聴きようによっては、表面的な効果狙いと感じられるかもしれない。また、たっぷりとして磨かれた響きは、のっぺりとして平坦な質感を伴っていて、精妙さや陰影みたいな感触は控えめかも。

とは言え、好悪はともかくとして、その美意識の強烈さと、それを現実の音として聴かせられる技量には、圧倒的なものがある。

渾身のダイナミックな『悲愴』

  • フェレンツ・フリッチャイ (指揮)
  • ベルリン放送交響楽団
  • 1959年 セッション録音

録音後長らくお蔵入りになっていたものが、1996年にリリースされて話題になったらしい。録音会場(イエス・キリスト教会)の特性か、うねるような音響。それでいて、こもった感じはないし、ディテールまで聴き取れる。録音年代を考えると、優秀なステレオ録音。

間合いをたっぷりととった、大きな身振り演奏。渾身のダイナミックな表現を繰り広げている。ドラマ性をとことん追求したような解釈だけど、陽性のドラマではなく、雄渾で青白い悲劇。録音会場の音響特性ゆえか、うねるような響き具合で、物々しい雰囲気を醸し出している。
その特徴がわかりやすいのは第二楽章。ワルツのリズムとほの暗いフレーズが入り交じる楽曲だけど、リズムの軽快感より、腰の入った深いフレージングが強く訴えてくる。偶数楽章の味付けは、剛直に寄っているかもしれない。

フリッチャイは第一楽章に不満があって発売を保留していたらしい。そう言われると一部に粗さがあるような気はするけれど、それはそれとして、一発勝負のような鬼気迫る表現で、異様な迫力がある。

表情は濃いけれど、そこに甘味成分は含まれていない。リズムには手応えがあって、フレージングには芯があって、サウンドの色彩感は乏しい。感傷やメロドラマ臭は感じられない。厳しい、あるいは武骨な音楽をやっていると思う。
もっとも、うねるように響くけれど、厚ぼったい音作りではなく、弦が強めながら、整ったサウンドバランス。濃い演奏ではあるけれど、息苦しい響きではない、と思う。


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